MENU

NEXT MID

HISTORY

開発ひしめく飯田橋、
駅前の未来が目前に。

image photo

400年を越える時を重ねて
暮らしを育み続けてきた
住宅街の系譜。

かつて徳川家康により飯田町と名付けられた千代田区飯田橋。
旗本が暮らす武家地として穏やかに発展を遂げたこの地は明治維新以降も都市の中にありながら
人々が穏やかに暮らす街としての伝統を継いできました。
〈アルビオ・ザ・タワー千代田飯田橋〉もまた、
そのひとつとして街の歴史に溶け込みながら新しい暮らしの未来を切り拓いていきます。

1603年(慶長8年)
江戸幕府が樹立
江戸城の拡張が始まる
1636年(寛永13年)
江戸城外濠・牛込見附が完成
隣接する飯田町は武家地として発展していく
1867年(明治元年)
明治政府が樹立
江戸が東京に改称される
1878年(明治11年)
麹町区が成立
麹町区飯田町となる
1881年(明治14年)
外濠に飯田橋が架橋される
1889年(明治22年)
甲武鉄道(後の中央本線)
「牛込」駅・「飯田町」駅開業
1928年(昭和3年)
「牛込」駅と「飯田町」駅が統合
中間に「飯田橋」駅が開業
1947年(昭和22年)
麹町区と神田区が合併
千代田区が成立
1966年(昭和41年)
住居表示施行に伴い
飯田町の町名が飯田橋に変更となる
1984年(昭和59年)
飯田濠の埋め立てにより
駅前施設「飯田橋ラムラ」誕生
2000年〜
「アイガーデンエア」
「飯田橋サクラパーク」
「飯田橋プラーノ」など
超高層の再開発ビルが続々と誕生
2020年(令和2年)
JR「飯田橋」駅改良工事完了予定
2021年(令和3年)3月下旬
「アルビオ・ザ・タワー千代田飯田橋」引渡し開始予定

外濠の内、千代田区飯田橋
江戸時代より続く
住宅エリアとしての系譜

江戸の昔、徳川家康により飯田町と名付けられた千代田区飯田橋。
旗本が暮らす武家地として穏やかに発展を遂げたこの地は
明治維新以降も都市の中にありながら人の暮らす街としての伝統を継いできました。
「アルビオ・ザ・タワー千代田飯田橋」もまた、そのひとつとして
歴史ある街に溶け込みながら新しい暮らしの未来を切り拓いていきます。

参考:千代田区町名由来板、飯田橋歴史のプロムナード標柱・地図板など

参考:千代田区町名由来板、飯田橋歴史のプロムナード標柱・地図板など

参考:千代田区町名由来板、飯田橋歴史のプロムナード標柱・地図板など

外濠の潤いと神楽坂の賑わいのそばに
400年を超える時を重ねてきた
暮らしの町・飯田橋。

江戸時代の飯田橋

家康により飯田町と名付けられ
江戸の屋敷街として歴史を刻む地。

遡ること400数十年前。太田道灌によって築かれていた江戸城に徳川家康が入城しました。家康は、当時千代田村と呼ばれていた農村(九段坂から飯田橋辺り)を視察。住人であった飯田喜兵衛の丁寧な案内に感心し、彼を名主に任命すると共にここを「飯田町(いいだまち)」と名付けたといいます。その後、飯田町の北には外濠が築かれ、周辺は江戸城にほど近い城下町として旗本たちが居を構える穏やかな屋敷街となりました。

参考:千代田区町名由来板、飯田橋歴史のプロムナード標柱・地図板など

飯田町駿河薹小川町繪圖/1849〜62年頃
左に牛込御門(現在の飯田橋駅西口)
左上の江戸川(現在の神田川)と外濠の交わる場所が現在の飯田橋駅東口辺りとなる
(写真:国立国会図書館より)

歌川広重「牛込神楽坂之図」/1830〜44年頃
神楽坂より牛込御門(現在の飯田橋駅西口)を望む
(写真:国立国会図書館より)

飯田町の西、牛込の名所として
江戸時代より人が集う神楽坂。

外濠の完成と共に架けられた橋の手前には、門と見附と呼ばれる見張台が設けられました。飯田町の西にある牛込御門もそのひとつ。門前に生まれた通りは、神社から神楽の音が良く聞こえてきたことから神楽坂と呼ばれるようになったといいます。当時の神楽坂は武士から町人まで多くの人が行き交う交通の要所として発展しました。また、善国寺の門前町としても栄え、茶屋などの商家も増えて今につながる賑わいが形作られていきました。

参考:江戸名所図会、神楽坂案内板など

外濠に描かれた潤いの風景。
それは今も飯田橋に受け継がれる。

江戸城の外郭を取り巻く外濠の東側は、お茶の水・浅草橋から隅田川そして東京湾まで繋がっていました。その水路を利用して往来する荷船の終端となったのが、牛込御門近くの堰の前(現在の飯田橋ラムラ付近)でした。ここに揚げられた荷は神楽坂に運ばれ、周辺の発展に貢献。浮世絵に船遊びに出る人々の姿が描かれるなど、豊かな水と共に暮らす生活が営まれていました。その潤いは今も同様に。飯田橋の風景として受け継がれています。

参考:東京名所図会、国立国会図書館ホームページなど

歌川広重「どんどんノ図 牛込揚場丁」/1830〜44年頃
中央に外濠、右は現在の新宿区揚場町付近、左奥に牛込御門
(写真:国立国会図書館より)

江戸時代の飯田橋

家康により飯田町と名付けられ
江戸の屋敷街として歴史を刻む地。

遡ること400数十年前。太田道灌によって築かれていた江戸城に徳川家康が入城しました。家康は、当時千代田村と呼ばれていた農村(九段坂から飯田橋辺り)を視察。住人であった飯田喜兵衛の丁寧な案内に感心し、彼を名主に任命すると共にここを「飯田町(いいだまち)」と名付けたといいます。その後、飯田町の北には外濠が築かれ、周辺は江戸城にほど近い城下町として旗本たちが居を構える穏やかな屋敷街となりました。

参考:千代田区町名由来板、飯田橋歴史のプロムナード標柱・地図板など

飯田町駿河薹小川町繪圖/1849〜62年頃
左に牛込御門(現在の飯田橋駅西口)
左上の江戸川(現在の神田川)と外濠の交わる場所が現在の飯田橋駅東口辺りとなる
(写真:国立国会図書館より)

飯田町の西、牛込の名所として
江戸時代より人が集う神楽坂。

外濠の完成と共に架けられた橋の手前には、門と見附と呼ばれる見張台が設けられました。飯田町の西にある牛込御門もそのひとつ。門前に生まれた通りは、神社から神楽の音が良く聞こえてきたことから神楽坂と呼ばれるようになったといいます。当時の神楽坂は武士から町人まで多くの人が行き交う交通の要所として発展しました。また、善国寺の門前町としても栄え、茶屋などの商家も増えて今につながる賑わいが形作られていきました。

参考:江戸名所図会、神楽坂案内板など

歌川広重「牛込神楽坂之図」/1830〜44年頃
神楽坂より牛込御門(現在の飯田橋駅西口)を望む
(写真:国立国会図書館より)

外濠に描かれた潤いの風景。
それは今も飯田橋に受け継がれる。

江戸城の外郭を取り巻く外濠の東側は、お茶の水・浅草橋から隅田川そして東京湾まで繋がっていました。その水路を利用して往来する荷船の終端となったのが、牛込御門近くの堰の前(現在の飯田橋ラムラ付近)でした。ここに揚げられた荷は神楽坂に運ばれ、周辺の発展に貢献。浮世絵に船遊びに出る人々の姿が描かれるなど、豊かな水と共に暮らす生活が営まれていました。その潤いは今も同様に。飯田橋の風景として受け継がれています。

参考:東京名所図会、国立国会図書館ホームページなど

歌川広重「どんどんノ図 牛込揚場丁」/1830〜44年頃
中央に外濠、右は現在の新宿区揚場町付近、左奥に牛込御門
(写真:国立国会図書館より)

明治時代の飯田橋

明治新政府による新しい時代へ。
麹町区飯田町へと生まれ変わる。

“江戸”から“東京”へと名を変え、明治11(1878)年施行の新制度により皇居周辺の丸ノ内・大手町・霞ヶ関から飯田町(現・飯田橋)を含む地域が麹町区として成立。当時の東京府は麹町区を中心として時計回りに区が定められ、15区に分けられました。麹町区は都心部にもかかわらず、南東部にあった官庁街・軍用地を除き華士族が多く暮らす閑静なエリアだったようです。その穏やかな環境は現代の街並みへ脈々と受け継がれています。

出典:「千代田区の歴史」

東京九段坂
「東京景色写真版」/1893年(明治26年)刊行
出典:国立国会図書館より

甲武鉄道線路跡(2019年8月撮影)
千代田区飯田橋3丁目 飯田橋アイガーデンテラス内

甲武鉄道が開通、飯田町駅が
鉄道交通の進化に貢献。

明治23(1890)年の秋葉原貨物駅に続き、明治28(1895)年に千代田区内では2番目に甲武鉄道(現・JR中央線)の飯田町駅が開設されました。これにより都心から東京西部までの交通が飛躍的に発展。また明治37(1904)年に日本で最初に鉄道が電化されたのは、この飯田町駅と中野駅の区間でした。後年、飯田町駅と牛込駅が統合し現在の飯田橋駅が誕生。現在では5つの路線が乗り入れる交通の要所として多くの人々が行き交います。

出典:「千代田区の歴史」「新編 千代田区史 通史編」

日本大学開校の地 碑
(2019年8月撮影)
千代田区飯田橋3丁目

数々の学校が開校の地に選んだ近代教育発展の舞台。

明治時代となり欧化を目指す新政府の方針から、西洋の学問を学ぶため千代田区では教育の近代化が急速に進みました。江戸幕府の施設や武家屋敷の跡地に官立学校が次々と誕生。専門知識を学ぶ私立学校も数多く設立されました。後の日本大学や明治大学、法政大学など明治以降も大学や高校として発展を続ける学校も多く「教育と文化のまち」千代田区らしいアカデミックな気風を醸成しています。

出典:「千代田区の歴史」「目で見る千代田区の歴史」

明治時代の飯田橋

明治新政府による新しい時代へ。
麹町区飯田町へと生まれ変わる。

“江戸”から“東京”へと名を変え、明治11(1878)年施行の新制度により皇居周辺の丸ノ内・大手町・霞ヶ関から飯田町(現・飯田橋)を含む地域が麹町区として成立。当時の東京府は麹町区を中心として時計回りに区が定められ、15区に分けられました。麹町区は都心部にもかかわらず、南東部にあった官庁街・軍用地を除き華士族が多く暮らす閑静なエリアだったようです。その穏やかな環境は現代の街並みへ脈々と受け継がれています。

出典:「千代田区の歴史」

東京九段坂
「東京景色写真版」/1893年(明治26年)刊行
出典:国立国会図書館より

甲武鉄道が開通、飯田町駅が
鉄道交通の進化に貢献。

明治23(1890)年の秋葉原貨物駅に続き、明治28(1895)年に千代田区内では2番目に甲武鉄道(現・JR中央線)の飯田町駅が開設されました。これにより都心から東京西部までの交通が飛躍的に発展。また明治37(1904)年に日本で最初に鉄道が電化されたのは、この飯田町駅と中野駅の区間でした。後年、飯田町駅と牛込駅が統合し現在の飯田橋駅が誕生。現在では5つの路線が乗り入れる交通の要所として多くの人々が行き交います。

出典:「千代田区の歴史」「新編 千代田区史 通史編」

甲武鉄道線路跡(2019年8月撮影)
千代田区飯田橋3丁目 飯田橋アイガーデンテラス内

日本大学開校の地 碑
(2019年8月撮影)
千代田区飯田橋3丁目

数々の学校が開校の地に選んだ近代教育発展の舞台。

明治時代となり欧化を目指す新政府の方針から、西洋の学問を学ぶため千代田区では教育の近代化が急速に進みました。江戸幕府の施設や武家屋敷の跡地に官立学校が次々と誕生。専門知識を学ぶ私立学校も数多く設立されました。後の日本大学や明治大学、法政大学など明治以降も大学や高校として発展を続ける学校も多く「教育と文化のまち」千代田区らしいアカデミックな気風を醸成しています。

出典:「千代田区の歴史」「目で見る千代田区の歴史」

昭和〜現代の飯田橋

駅の整備と共に、交通の要所としていち早く進化。

明治時代に開設された甲武鉄道「牛込」駅(現在のJR「飯田橋」駅西口・四谷寄り)と「飯田町」駅(現在のアイガーデンエア)。1928年(昭和3年)に2つの駅は統合され現在の「飯田橋」駅が誕生しました。さらに、山手線の中央であることから戦後は地下鉄駅が続々と開業。住宅エリアでありながら多くの路線が交差する交通の要衝となり、江戸時代と同様に職住近接の穏やかで賑わい豊かな環境が育まれていきます。

参考:飯田橋歴史のプロムナード標柱・地図板など

国鉄飯田橋駅(昭和37年)
出典:毎日新聞社

飯田橋貨物駅(旧飯田町駅・昭和63年)
出典:毎日新聞社

1889年(明治22年)に新宿〜八王子間が開業した甲武鉄道は、1895年(明治28年)に延長され「飯田町」駅が設置されました。後に、甲武鉄道は御茶ノ水方面に延長。国有化された後に「飯田橋」駅が開設され、後年「飯田町」駅は貨物専用駅として利用されることとなりました。その貨物駅としての歴史も1999年(平成11年)に終了。駅と周辺施設の広大な跡地が再開発エリアとなり、2003年(平成15年)に職・住・商が複合する環境創造型高層都市「アイガーデンエア」が誕生。美しく整えられた豊かな緑の中に、働く人・暮らす人が交わる洗練された都市景観を描き出しています。

参考:飯田橋歴史のプロムナード標柱・地図板など

「飯田橋」駅周辺エリア概念図

利便と潤いが隣り合う“飯田橋らしさ”の先鞭が誕生。

1984年(昭和59年)、駅と隣り合う外濠の一部(飯田濠)が埋め立てられ、オフィス・商業・住宅一体の駅ビル「飯田橋セントラルプラザ」が誕生。低層部のショッピングセンターは「飯田橋ラムラ」と名付けられ、地域のランドマークとして今も親しまれています。

参考:飯田橋歴史のプロムナード標柱・地図板など

飯田橋ラムラ/約280m・徒歩4分(2019年7月撮影)

昭和〜現代の飯田橋

駅の整備と共に、
交通の要所としていち早く進化。

明治時代に開設された甲武鉄道「牛込」駅(現在のJR「飯田橋」駅西口・四谷寄り)と「飯田町」駅(現在のアイガーデンエア)。1928年(昭和3年)に2つの駅は統合され現在の「飯田橋」駅が誕生しました。さらに、山手線の中央であることから戦後は地下鉄駅が続々と開業。住宅エリアでありながら多くの路線が交差する交通の要衝となり、江戸時代と同様に職住近接の穏やかで賑わい豊かな環境が育まれていきます。

参考:飯田橋歴史のプロムナード標柱・地図板など

国鉄飯田橋駅(昭和37年)

飯田橋貨物駅(旧飯田町駅・昭和63年)

1889年(明治22年)に新宿〜八王子間が開業した甲武鉄道は、1895年(明治28年)に延長され「飯田町」駅が設置されました。後に、甲武鉄道は御茶ノ水方面に延長。国有化された後に「飯田橋」駅が開設され、後年「飯田町」駅は貨物専用駅として利用されることとなりました。 その貨物駅としての歴史も1999年(平成11年)に終了。駅と周辺施設の広大な跡地が再開発エリアとなり、2003年(平成15年)に職・住・商が複合する環境創造型高層都市「アイガーデンエア」が誕生。美しく整えられた豊かな緑の中に、働く人・暮らす人が交わる洗練された都市景観を描き出しています。

参考:飯田橋歴史のプロムナード標柱・地図板など

「飯田橋」駅周辺エリア概念図

利便と潤いが隣り合う
“飯田橋らしさ”の先鞭が誕生。

1984年(昭和59年)、駅と隣り合う外濠の一部(飯田濠)が埋め立てられ、オフィス・商業・住宅一体の駅ビル「飯田橋セントラルプラザ」が誕生。低層部のショッピングセンターは「飯田橋ラムラ」と名付けられ、地域のランドマークとして今も親しまれています。

参考:飯田橋歴史のプロムナード標柱・地図板など

飯田橋ラムラ/約280m・徒歩4分(2019年7月撮影)

飯田橋エリアに今も続くまちづくり構想の先駆けとして商業が充実する便利さと外濠の潤いが共存する豊かな環境が整えられ、飯田橋の地域イメージを構成する魅力のひとつとなっています。

※1 完成時期は工事の状況により遅れが生じる可能性があります。
※「飯田橋」駅周辺エリア開発概念図掲載の航空写真は2018年12月に撮影したものにCG処理を施しており、実際とは多少異なります。
※飯田橋・富士見地域まちづくり構想/参考:千代田区ホームページ、飯田橋駅東口周辺地区まちづくり構想/参考:新宿区ホームページ、JR「飯田橋」駅改良工事/参考:JR東日本ホームページ
※掲載の施設写真は2019年3月に撮影したものです。